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某日日記 その3

某日の夕方、時間が空いたので、夏用のズボンを買いにイトーヨーカ堂へ。
ぼくは寒がりなので、持っている服は厚手のものが大半を占める。衣替えの時期をすぎてもちょっと肌寒いと冬服を着るし、真夏でもエアコンだらけの都内に出かけるときは厚手の服で家を出る。そんなだから夏用など持っていてもほとんど出番がなく、もったいないから滅多に買わないのだ。だから夏服は前年と同じものを着て済ましているのだが、しかし数少ない夏用ズボンが昨年ボロボロになって廃棄処分になり、一着補給することになった。それでしかたなく、買いに行ったのだった。

何故しかたなくかというと、このズボンを買うという行為がとても苦手だからだ。上着ならサイズだけ確認してパッと買えるが、ズボンだとそうはいかない。サイズの確認だけではこと足りず、試着してみなくてはいけない。この試着というものが実に面倒なのだ。
まずは売り場でずらっと並ぶズボンを見て、まぁいいんじゃないかというものを選んでサイズを見る。試着室への持ち込みは一度に3つということなので、よーく厳選して試着室へ向かうことになる。この時点で厳選しないで買うときに厳選すればいいじゃないかと思うだろうが、試着室への入室をなんとかして一回で済ましたいので、ぼくの場合はここで厳選しなければならないのだ。メインのサイズと、その一つ大きなサイズ。それとメインサイズのちょっと色違い。こういった取り合わせがセオリーだ。

そして試着室へ。手に持ったズボンを下に置いて、シャッとカーテンを閉める。相も変わらず狭い。穴熊の玉並み。この狭さがどうにもこうにもイヤなのだ。まぁここでじっとしていても意味がないので持ち込んだズボンに履き替えるのだが、壁に手とか腰とかゴツンゴツンとぶつける。ハンガー掛けや鏡などいくつもの出っ張りがあり、肘がぶつかってビーンと意外な痛みに襲われることもある。できるだけぶつけないようにと気を使うからか、履き替えるときに大きくよろけて壁にドシーンともたれかかったりもする。こういったスペースはたいていハリボテのような設備なので余計に響くのだ。「お客さん大丈夫ですか!」などと店員が心配して声をかけてくるんじゃないかと思うくらいの衝撃音だったときもある。焦りと窮屈さから汗が出てきて、それがさらに履き替えづらくする。もしもぼくがこれを買わなかったら、この汗の沁み込んだズボンを見ず知らずの人が購入するのか、などと思いながらもなお履き替え続ける。そんなさまを、鏡が容赦なく映し続ける。

3つ履いてみて、もう一つ小さい方がよかったなぁ、とか、あの色の方がよかったかなと思うこともある。でも再度取りに行って試着するのは耐えられないので、ガマンして持ってきたやつを買ってしまうことも多い。それで、ちょっと大き目のズボンを数着持っていたりする。
ここでウンよく色もサイズも満足するものに出会ったとしても、さらに試練がある。ジャっとカーテンを開けても店員さんがいない。

―スソ上げが…。
こういうとき、どうすればいいのか。大声で呼べばいいのか? それともアイコンタクトが合うまでひたすら立ち続ければいいのか? または長いスソを引きずりながら店員さんを呼びに行けばいいのか? 都会の中の孤独を感じる。だからできるだけ寸法が決まっているものを買うことにしている。たとえ色カタチがイマイチだと思っても。
こうまで苦労して、たった2900円のズボンを買うのだ。だからズボンを買わないとと考えただけで、ズシーンと気が重くなる。
今回は試着して一ついいのがあって一安心したところ、金額を見てびっくり。バカなことに持ち込むまで値札の確認をしなかったのだ。
それで泣く泣く返した。また買いに行かなければと思うと憂鬱になるのだった。

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2013年5月17日 | コメントは受け付けていません。 |

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悩める男に花を!

 今どきのウルトラマンは分からないが、ぼくが子どもの頃のウルトラマンはほぼパターンが決まっていた。怪獣が現れると、まずは地球を防衛する精鋭隊の戦闘機が出撃して怪獣を倒そうとする。初代ウルトラマンでいえば「科学特捜隊」だ。そして戦闘機はあえなく怪獣に撃墜され、そこでウルトラマンが出てきて怪獣と戦い、無事にやっつけてカラータイマーの音とともに去って行くというストーリー。前半で一度ウルトラマンがやられたり、怪獣をやっつけずに宇宙へ帰したりなど、細かな違いはもちろんある。しかし大筋はこのストーリーなのだ。

それにしても、「科学特捜隊」をはじめとしてウルトラマンシリーズに出てくる地球防衛隊の戦闘機はこれでもかというくらい怪獣にやられた。国防費がとんでもない額になっちゃってるんじゃないかと心配してしまうくらいだ。

なかで一つ印象に残っている話があって、隊員のアラシだったかイデだったかが、毎回怪獣にやっつけられてしまうことを悩むのだ。自分たちの隊は怪獣にまったく無力で、いつもウルトラマンにやっつけてもらっている。ウルトラマンさえいれば充分で、おれたちなんか必要ないんじゃないか、とウルトラマンに変身する前の隊員ハヤタに熱く悩みを打ち明けるのだ。もちろんアラシだったかイデだったかは、ハヤタがウルトラマンだということは知らない。

たしかにあれだけ長いこと結果が出せずにいたら悩むのも当然というものだろう。それくらい頻繁に撃ち落されてしまっていて、むしろそれでも死なない幸運を喜ぶべきだと思うのだが、悩みというものは人それぞれなのでしょうがない。
この話はここ数年、将棋ペンクラブの活動の一環として出ている社団戦にオーバーラップして、社団戦の始まる夏になるとちょくちょく思い出すようになった。

我々、将棋に関する集団ということで、とても強いのではと誤解されることがよくある。しかし将棋が強い幹事は大学OBや会社など、とっくに他チームのメンバーになっているのだ。このチームは経験の浅い幹事が呑んだ勢いで参加を決めたチームだけで、その証拠に現在最も下の5部に属している。勝ち星は求めず、楽しく指そうというのがモットー。完全に打ち上げ重視なのだ。

それでも、結果が出ないことを思い悩む方がお一人いた。けっこうな数を指すので、みんなそれぞれどこかで幸運が訪れてダルマさんに目が入るのだが、どうしてだかその御方には幸運が訪れない。訪れないどころか不運な逆転負けもいくつかあった。ダルマではなく成績表に黒目が並んでいく。とても誠実な方なのでチームに迷惑をかけていると気にしていて、まとめ役をしているぼくは、本当に気にしないでくださいと何度言ったか分からない。正直なところ、他の人は負けてもいいからあの御方に勝ってほしいと密かに願いながら、いつもメンバー表を組んでいた。

その御方、社団戦当日にかなり疲れた感じのときもあった。それを尋ねると、前夜眠れなかったと言う。いやぁ本当に気楽にやってください。ぼくは頼むように、そう声をかけるしかなかった。上記のウルトラマンの話では、悩む隊員にウルトラマンが怪獣にとどめを刺す役割を任せ、花を持たせる。結果の出た隊員は悩みも解消され、再び職務に励むようになる。しかしそんな美談もドラマという作り物の世界ならではで、現実世界はただ単に願うのみなのだ。あぁ、あの御方に結果が出ますように、と。

その願いが通じたのか、というのは凡庸な言い回しだが、ともかくその御方、2年目、つまり昨年だが、ついに白星を上げた。居飛車の堂々とした将棋で、横で見ていたぼくは自分の将棋そっちのけで熱くなった。

笑顔でメンバーの集まる場所に戻ってきたその御方は、みんなに祝福された。みんながその御方の一勝を待ち望んでいたのだ。

 
今年もだんだん社団戦が近付いてきた。ぼくは参加者の皆さんが楽しく指してくれることを願うのみ。結果はまったく気にしていない。

将棋ペンクラブはブースで販売、入会案内等行っていますので、お時間ありましたら覗いてみてください。

 

 

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2013年5月16日 | コメントは受け付けていません。 |

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某日日記 その2

某日、桜台へ。西武池袋線で思いつく駅は? と尋ねれば、まず名前の出てこない駅。乗り換えもなく各駅停車しか停まらない、23区内の小さな駅だ。
しかしぼくはちょくちょく降りる。友人の呑み屋があるからだ。この日はペンクラブ会員のHさんと待ち合わせ。カンパイしてしばらくお話したあと、いつものパターンで店の将棋盤を取り出す。友人の店主は指さないが、将棋はOK。むしろ静かで楽だからと奨励される。
Hさんと2局。1局目は飛車先をやぶって快調と思ったところ、玉の小鬢をいじめられて負け。2局目はいいところなく負け。ここでHさんが帰り、今度はいつもこの店で会って指すTさんと1局。いつものようにぼくの飛車落ち。Tさんの中飛車を丁寧に受け、たまった歩で敵陣を乱して勝ち。
2局目も指したかったのだが、終電が近付いたので撤退。ラーメンでもと思ったのだが、食指の動くラーメン屋を思い浮かべることができず、そのまま帰宅。
 

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2013年5月15日 | コメントは受け付けていません。 |

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関東交流会は今月25日です!

今月の25日に、関東交流会があります。
「お知らせ」にも記載してありますが、交流会は会員だけでなく一般の方も参加自由。都合のよろしい方はぜひご参加ください。年齢層も広く(性別は狭いですが)、けっこう面白い出会いも多いですよ!
 
ぼくの印象に残る出会いは一昨年。2次会の中華料理店で、いつも交流会で話す気の合う会員さんと同じテーブルにいたのですが、湯川恵子さんに呼ばれて席を移動しました。
「あんた、この人となんか気が合いそうだから呼んでみたのよ」
恵子さんの隣にいたのがKGさんで、見たところたしかにぼくと年齢が近そう。まぁ年齢が近いから話が合うというわけでもないのですが、でも雰囲気的に合いそうな人でした。
それからそこで話し込んだのですが、実に恵子さんの見立てどおりでした。話が合って合って止まらなくなっちゃいました。将棋の話はもとより、他のこともいろいろ。それで2次会がハネると、こりゃもっと呑もうということになりました。古い言葉で言うとメートルがあがるというやつ。で、千駄ヶ谷からタクシーで新宿に出て、ぼくがそのときよく行っていたゴールデン街の、競馬好きが集まるお店で終電間際までトコトン呑んだのでした。
もちろん一日で話が尽きることなく、KGさんとはその後もちょくちょく呑んでいただいています。サッカーで話が合ったり(プレミアリーグで、赤色よりも青色が好き)、音楽で話が合ったり(その青色の熱烈なサポーターのバンドがいました)、なんだか毎回、呑むと話が止まらなくなるのです。
KGさん、昨年はお仕事が忙しくなってあまり呑めなかったので、今年はぜひちょくちょく呑んでもらおうと思ってます。
 
今年も関東交流会でどんな人に会えるか、ぼく自身楽しみにしてます。
 

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2013年5月14日 | コメントは受け付けていません。 |

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(将棋の方の)雑記  解説A級

昨日もNHK杯を堪能。感想戦がないくらい手数が伸びて、正午までハラハラさせてもらいました。あらためて受信料をちゃんと払わないと、と思った次第です。
 
いやぁ今年のNHK杯は飛ばしますねぇ。こんな早くからA級八段が続いています。もちろん対局者ではなくて解説のA級八段。福崎さんに石田さんに、豊川さんと続いています。将棋そのものも面白いですが、解説によって倍化されております。
 
オープニングで矢内さんは日曜のひとときをお楽しみくださいと言ってくれてますが、たしかにここのところ、とっても楽しませてもらっております。その矢内さん自身もかなり笑って楽しそうです。
 
しかしそれにしても、本当に解説は重要です。特に、動きの少ない将棋ではなおさらです。
どうしても中盤までは、視聴者には間延びした時間に感じるときがあります。そこを解説者が惹きつけてくれると、1時間半ほどの時間が実に充実したものとなるのですね。前半はクスクスと、終盤がドキドキと、というのがぼくの理想であります。
 
解説A級八段の方々には年に複数回出てほしいなぁというのが、一視聴者としてのぼくの願いです、NHK様。
 

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2013年5月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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(ペンの方の)雑記  古書目録が届いた、2

それで昨日の続き。

「日英米独佛露華対訳鉄道辞典」というのが数ある鉄道本で最も興味を引く一冊。北半球をほぼ網羅しているからかなりボリュームのある本かと思うが、2000円とお手頃価格なのを見るとたいした厚さではないのか。本の形(なり)が気になる。
この本以降、リストは世界各国の本へとなる。「韃靼通信」は戦前の本。戦前と言ってもぼくは京都生まれではないので応仁の乱の前という意味ではなく第二次大戦前。昭和15年刊だ。版元は生活社となっているが、当時はタタールが生活に密着していたのだろうか。ホントに古書目録は謎の宝庫で飽きない。

「タイ國概観」も昭和15年刊。「国」の字だけでなく「観」も旧字だが、パソコンから字が出てこない。「比律賓史・上下」は昭和17年刊で、「ろしあ風土記」が昭和25年刊。戦前は漢字表記しないといけなかったのか。

刊行年が想像を掻き立てるお手伝いをしてくれる。「家を建てる人の為に‐和洋住宅の實例‐」はタイトルだけ見れば今現在の本かと思うが、昭和3年刊だ。当時は洋風住宅の貴重な手引きだったのかもしれない。「都市交通問題研究」も昭和3年刊。家も交通も永遠の課題というところか。

ない刊行年が昭和20年と昭和64年。とても少ないのだろう。きっとこういうのを専門に集めている人もいるのだろうと思う。今やどんなマニアもいる時代だ。

夏の開催にはぜひ行ってみたいものだ。

 

 

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2013年5月12日 | コメントは受け付けていません。 |

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(ペンの方の)雑記  古書目録が届いた、1

アカシヤ書店の星野御大から古書目録が届いた。お気に入りの冊子が届くというのは本好きにはうれしいひとときだ。以前はペンクラブの会報が届くのが楽しみだったのだが、幹事になってからは発送作業で持って帰ってきてしまうので家に届く楽しみがなくなった。今では関西の三宅さんが送ってくる『解けてうれしい詰将棋』と、この古書目録がいちばんうれしい。
 
今回は神保町の東京古書会館開催分の目録で、行ってみたいが日にちがない。なにしろ10日の金曜日に届いて開催が10日、11日なのだ。11日は法事なので、仕方なく目録で本を想像するに留める。
 
アカシヤ書店は46ページから52ページまで7ページに古書の目録が並ぶ。川崎の甘露書房さんや品川の松林堂書店さんほか、3ページだけの掲載がけっこう多い中での7ページ。星野御大、ペンクラブのみならず東京愛書会でも重鎮なのだろうか。まぁ古株だということは間違いないだろうが。
 
初っ端の「図説佛教語大辞典」からずらっと仏教関係のリストが並ぶ。ほとんどが昭和刊行だが平成のものもある。それにしても刊行年の表記に元号と西暦と両方あるのはどうしてか。いえいえ教えてくれなくてけっこう。謎を長く持つのが人生を面白くすごす秘訣なのだ。
珍しく一文字のタイトルで、「死」。明治30年刊。興味を引かれますなぁ。2500円と御手頃な価格で、買いたかった。
 
今回は地域物が手厚い。だから前回高円寺の目録より興味を引くタイトルが多い。「村山織物誌」というのは武蔵村山だろうか。市役所通りに村山紬と看板があるが、関係あるのだろうか。いずれにしてもご近所モノは興味を引く。その他、「立山の雷鳥」、「京の七不思議」、「高蔵寺ニュータウン計画」、「新大阪の建設」など買う買わないはともかく、ぜひ一度手に取って中を見てみたい。
 
「EF57ものがたり」は意外。EF58の間違いではないのか。「鉄道の一般知識」は昭和24年刊。「鉄道運賃」は2500円で、ちょっと内容が固そう。やわらかそうなのは、「わが街 わが都電」。同じ2500円。どちらにその金額を使うかは好みの分かれそうなところ。「軽便王国雨宮」は軽便鉄道だろうか。
 
うーん、7ページあるといっぺんに書ききれない。
 

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2013年5月11日 | コメントは受け付けていません。 |

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(将棋の方の)雑記  緊迫を観戦するには

将棋のいいところは、ハズレが少ないことだ。どの対局を観ても、わりと中盤以降は緊迫した展開になる。これ、スポーツだとなかなかそうはいかないのだ。
 
野球は早い回から大差の試合があり、サッカーは途中から引き分け狙いでダレる試合がある。毎度手に汗握る展開にはならず、むしろそういう試合を観られたときの方がウンがいいと言ってもいいくらいだ。
 
野球などはヘンなクセがついて、早く帰ったときや家でゆっくりできるときは夜9時からのNHKニュースを観るのが習慣となった。番組最後のスポーツコーナーのプロ野球速報で、延長に入っている試合をチェックする。それを確認したらBSやCS、地域の放送局などで試合を放送しているところを捜し、やっているところを見つけたらそれを観賞する。そうすれば緊迫した場面だけを見られることになってまことに都合がいい。いいとこ取りでファンの風上にも置けない方法だが、緊迫するかどうか分からない時点から毎日ずっと試合を観る時間など取れないのだから仕方がない。
 
特定の球団のファンであれば、大差だろうが勝ち試合なら楽しめるだろう。しかしぼくは近鉄難民で2004年球団消滅(ぼくの中では吸収ではない)以降、特定の球団の応援はせずパ・リーグ全体の応援となっている。とても全部を観ていられないというものだ。
 
そこでこうやっていいとこ取りとなった。だからぼくは先発投手をほとんど観ていないしあんまり知らない。森福や益田や青山こそエースだと思っている。
 
それでも緊迫した場面は観られても、大逆転劇にはほとんど出会えないのが残念なところ。均衡した場面から観るのだから当然だ。ウンよく先行勝ち越し後の逆転劇というのを観られることもあるが、アウェイチームの逆転劇を観ることは皆無なのだ。
 
そうそう、将棋は逆転劇をたくさん見せてくれるのもとてもいいところ。実に観戦者思いだ。もっとも逆転される棋士にとってはたまったものではないだろうが…。
 

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2013年5月10日 | コメントは受け付けていません。 |

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(将棋の方の)雑記  棋士対コンピュータ

棋士対コンピュータ。いろいろ意見もあるだろうが、ぼくは結果に関しては興味なし。ランナーと車が競争しているようなもので、機械を使えば生身が負けるのは当然と感じてしまう。
 
それでもまだ「確実に負ける」というまでは時間がかかりそうだ。これは機械の最も得意な「パワー」ではなく、「技術」だからだろう。それも人間に対応する「技術」という、機械の不得手な「技術」だ。
例えばピッチングマシーンとバッターだったら結果は一目だ。パワーに任せて200キロの超剛速球を投げられたらバッターは手も足も出ない。だけど一流のピッチャー対バッティングマシーン(というものがあればだが)だったら、これはちょっと考えこむ。スイングの早さやセンサーで必勝とは思うが、いざ金を賭けろと言われたら、少なくとも前者の勝負(ピッチングマシーン対バッター)よりは機械に賭けることに躊躇する。投げたボールに当てるという、人間に対応する「技術」が必要だからだ。
 
将棋にパワーは必要なく、ほぼ100パーセント人に対応する「技術」なので、それを組み込むまでに時間はかかった。しかし時間の問題だけで、いずれは人など歯が立たなくなるはずだ。
 
もっともぼくは、結果に関して興味がないだけで、勝負に関しては興味がある。実にある。
コンピュータ将棋の対局はCS放送やパソコンで流してくれるが、その際作り手が映される。だから興味があるのだ。
作り手が取り上げられれば、それはもう棋士に挑戦するのは単なる機械ではない。変則的な、人対人の対戦になる。
コンピュータソフトを開発した経緯を語り、作成時の映像が映され、対局の最中の表情が流れる。勝てば喜び、負ければ残念がる。棋士との対局であれコンピュータ同士の対局であれ、作り手の気持ちというのが観ている者の心に残り、それを思えば通常の対局のようにグッと勝負に入り込めてしまう。むしろ棋士より気持ちが表情に出るので、新鮮な面白さがある。
 
ゴールデンウィークに行われたコンピュータ将棋の大会、昨年は囲碁将棋チャンネルで番組を作って放送してくれたが、今年もあればいいなぁと期待している。
 

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2013年5月9日 | コメントは受け付けていません。 |

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(将棋の方の)雑記  将棋番組の涙

昨日は将棋番組に涙はないということを書いたが、唯一涙があるのが『こども将棋名人戦』だ。今年も涙があった。
 
準決勝の2局目。先手の猛攻に後手が受けていたのだが、その後手の一手に解説の森内名人が「あっ」とくぐもった唸り声。この少年たちのレベルであれば一目であろう単純な頓死筋が。なにしろヘボ将棋のぼくですら分かったほどだ。あっけない幕切れと思ったのもほんの数秒、先手の子はそれを見逃す。それでも先手の攻めは続き、後手は受け続ける。しかし徐々に先手の攻めが細くなっていき、結局後手が受けきって逆転勝ち。先手の少年、終局時は残念そうな表情で涙はなかったのだが、スタジオに戻って名人に解説されて「あぁっ」と天を仰いで大泣き。決勝戦に画面が変わるまで、その子はずっと泣いていた。
 
これ、もっと正確に書くと、名人が解説する前にその子は事態をつかんだ。その場面が大盤にあるという時点で何かあると感じていたのかもしれない。ここに出る子というのはそれくらい突出した才能だ。「ここで…」と名人が水を向けた時点で少年は無念の声を発したのだ。少年が顔を両手で覆っている隣で後手の子が、「指した瞬間気付いた」と名人の問いに消え入りそうな声で答えていた。
 
こども将棋名人戦の涙は、将棋というのは座っておとなしくやっているように見えて、実はスポーツとそん色ないくらい激しい競技だということを伝えてくれるのだ。
 

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2013年5月8日 | コメントは受け付けていません。 |

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