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第25回将棋ペンクラブ大賞1次選考

幹事はおおよその年間スケジュールが決まっていて、ゴールデンウィークが明けると将棋ペンクラブ大賞の1次選考で集まることになる。
 
朝10時から東京将棋会館に詰め、夕方までひたすら読み、意見を交わし、また読み、意見を交わす。
会報の発送作業は和気藹々とおしゃべりしながらやっているが、この日だけはピーンと空気が張り詰めている。また選考場所が対局室だから、なおさらそうなる。
 
そしてまとめたところでコピーを取り、2次選考委員に送る段取りをして作業終了。
終わって将棋会館を出るとき、けっこう肩がこっていたりする。それくらいその日は、黙々と気を入れて作業しているのだ。
 
第25回将棋ペンクラブ大賞に推薦いただいた方、ありがとうございました!
 

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2013年4月30日 | コメントは受け付けていません。 |

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春の天皇賞

GW。これをグラスワンダーと読むのは競馬好き。かくいうぼくもその一人。
日曜日の春の天皇賞はぼくと同年代のジョッキー2人のワンツー。将棋も競馬もまだまだこの世代が元気です。
 
しかし毎度ですが、馬券は地方出身ジョッキー本命でかすりもせず。それも1番人気内田(ゴールドシップ)ではなく14番人気柴山(トウカイパラダイス)から総流し。4コーナーまで楽しめました。
 

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2013年4月29日 | コメントは受け付けていません。 |

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酔いどれ幹事録  ツー・ユー

将棋ペンクラブ、若い幹事はお酒を呑まず、60代の方々は浴びるほど。なんだかぼく一人が平均年齢を下げている感じです。まぁ微力なんですが。

もっともこういったカタチは会社などにもあるかと思います。呑みの場は年配者が中心と。だから年齢層は不思議ではないのですが、ぼくが首を傾げるのは皆さんが平然とガバガバ呑むこと。しかもビールを。とにかくなんにも気にせず呑むわけです。

どうして不思議なのかというと、ぼくの友達だとこうはいかないからです。酒呑みは酒呑みを呼ぶということで、ぼくの友達はほとんど酒呑みなのですが、彼らは体に故障が出始めるお年頃です。長年の飲酒が蓄積されて厄年前後になって爆発! となっているわけなのですね。まったく厄年というもの、お祓いやお札の儲け口かと思いきや、なかなかよくできているもんですねぇ。
で、その故障でもダントツのものが痛風なのです。痛風というのは大まかに言えば関節に溜まる老廃物が原因なのでちょうど蓄積される齢なのでしょう。それである日突然、「うぅ、足の親指が!」などといってバタバタと倒れていくのです。ある種壮観でもあります。

呑みの約束をしていても、突然電話があって、発作が起こったのでキャンセルなどということもあります。まぁ原因が酒なだけにこちらもさほど深刻にならず、そういえば松本清張の短編にも「発作」というものがあったなぁなどとぼんやり思いながら表面ヅラだけは神妙に、「お大事に」などと言って電話を切るわけです。

それで一回発作が起きるとあの痛みが怖くなって、とにかくプリン体が多く含まれているビールは避けるわけなんです。だから友達の多くはビールを呑みません。最初からホッピーやチュウハイ。それほど友達に痛風になっている者が多いのです。彼らは自分たちのことを『痛友』と呼び合い、慰めあったり情報交換などをしております。

しかし不思議と、この将棋ペンクラブ幹事の方々からは親指がピリピリ来た話は聞いたことがないのです。年齢と飲酒量からいえばぼくの友人などメじゃないくらい蓄積されているはずなのに、かまわずじゃんじゃんビールを呑むわけです。呑んでいるうちに他の酒に変えますが、それは痛風を怖れてじゃなくて、もっと濃い物を求めてのことなのです。
 
まったくどうなってるのでしょう。幹事の呑み会でぼくはときおり、40代のぼくの友達たち、なんだかかわいそうだなぁ、と思っちゃうのです。

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2013年4月28日 | コメントは受け付けていません。 |

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(ペンの方の)雑記  春の雨

昨晩は春の雨。水曜日の晩も雨で、東京ではどちらも本降りの時間が短かったが、ぼくは運悪くちょうどそのいっときに当たってしまった。それでも春の雨のこと、さほど寒くもないので傘は差さずに濡れて帰った。
 
 
この春は雨が降ると、昨年のある晩のことを思いだしてしまう。それは夢枕獏さんの吉川英治文学賞の受賞パーティーの晩で、今時分と同じような、寒さをそれほど感じさせない春の雨だったのだ。
会場は帝国ホテルで大きなパーティーだった。あ、大きなパーティーなんて子どもっぽい表現か。えっと、盛大なパーティーだった。で、そんなところになぜぼくが顔を出せたのかというと、これがペンクラブのおかげで、幹事の湯川恵子さんが連れて行ってくれたのだ。
 
これは獏さんの著作にちょいちょい出てくるので知られた話だが、恵子さんと獏さんは高校時代の同人誌仲間だった(ギュッと縮めると、「同志」だ)。同じ高校の同じクラブから売れっ子作家と女流アマ名人が出るというのはすごい確率だが、ともかく大学時代から獏さんの愛読者だったぼくは、よく恵子さんに、将棋のことそっちのけで当時の同人誌のことを聞いていた。そして日本酒を呑みながら、恵子さんは懐かしそうに当時のことを語ってくれるのだった。
 
そんないきさつで、獏さんからパーティーの案内状が恵子さんに届いたときに、ぼくを同行させてくれたのだった。
パーティーでは立場をわきまえておとなしく佇んでいようと考えていたのだが、あいさつが終わるなり、「せっかく来たんだから、さぁ食べよう!」と恵子さんが腕を引っ張る。あたふたと恵子さんに付いて料理の並ぶテーブルに行き、2人でひと通り皿に盛った。けっこう山盛り。それをパクパク食べながら、恵子さんの知り合いの方々とあいさつ。ちょっと欲張りな感もこれは正着で、話している間に早くも並んでいる料理がなくなっていった。さすがパーティー慣れしている恵子さんの読みはすごい。駒は取れるときに取っとくに限る。
 
恵子さんは知り合いが多く、次々と紹介してもらった。さらには料理を腹におさめて皿を片付けたと思ったら、つかつかと獏さんのところに向かっていってぼくを呼ぶ。アワワワと、ぼくは拳の指側を口元に当て、などというベタなリアクションこそしなかったが、ちょっと慌て気味に獏さんの前に行き、そこでにこやかな獏さんとほんの少しだが、お話しさせてもらった。
 
まだまだ賑わっていたが、帰りがけにちょっと呑んでいこうかということで会場をあとにした。このさらっとしたところが恵子さんの魅力のひとつだ。
クロークで上着を取って下に降りる。ホテルを出ると、雨が強まっていた。これでは移動がむずかしいと、我々は近くの喫茶店にビールがあるのを確認して入った。ビールを頼み、つまみも欲しかったが、これは閉店間際だったので乾き物のミックスナッツだけでガマンした。
 
ぼくはこの日、この喫茶店での恵子さんとの時間が印象に残っている。照明の暗い店内に、客は本を読んだりノートパソコンをいじったり。ビルと公園にはさまれた大通りは暗く、横殴りの雨が街灯とヘッドライトに照らされるだけ。落ち着いた雰囲気ではあるけれど、侘しくも感じてしまう。平日の、パーティーのあとの、深夜に向かういっとき。そんななか、恵子さんといろいろ話しながらビールを呑む。
 
もちろん豪華なパーティーだって強く印象に残っている。でも、この1時間弱のビール一杯の時間。これが風になびく雨と相まって、より強く記憶に留め置かれてしまった。
これから毎年、春の雨が降るたびに思い出すのかなぁ。そんな感じがするのだった。
 

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2013年4月27日 | コメントは受け付けていません。 |

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(将棋の方の)雑記  第84期棋聖戦挑戦者決定戦

家に戻ってパソコンを起動させたら、すでに棋聖戦挑戦者決定戦が終わっていた。
できれば終盤をリアルタイムで追いかけたかったのだけど、終わってしまったものは仕方がない。中継サイトで初手から追うことにする。
 
角換わりとなって、これは手を追っていくのが楽しみ。このお二方(渡辺さん対郷田さん)の対戦でこの戦法だと、終盤詰むや詰まざるやの切り合いになるだろうと思ったからだ。
思ったとおりのいい将棋で、組み合ったあと、最初に渡辺さんが軽く攻めるも郷田さんの両銀引きで玉が固くなり、今度は後手の郷田さんが攻めに。ぼくは人物としての渡辺さんファンだが、将棋は別。どの対局を観ていてもどちらの応援もしない。観ていて願うのはただ一つ、拮抗して面白くなってくれ! ということ。いやいや、将棋ペンクラブの幹事だから当たり障りのないことを言っているわけではない。これは将棋に限ったことだけじゃなくて、野球もサッカーもそうなのだ。特定のチームの応援はしないで、競るカタチのゲームになることを願って観戦する。例外は競馬だけ。
で、郷田さんが攻めている飛車を一旦引くも、小駒を使って細い攻めをつなげていく。しかし攻めきれずに手を戻したところで、今度は渡辺さんの攻め。こんなに単純に書いたのでは申し訳ないくらいの、両者それぞれの攻めだ。そしてそれに対する受けも。角換わりって、この小駒で金駒を浮き上がらせていくときの攻防が面白いのだ。しかし自分で指したらいくら時間があっても足りないだろう。どう逃げたらいいのかと、一手一手大長考しそう。
 
結局渡辺さんが攻めきり、郷田さんが投了。羽生棋聖に渡辺さんの挑戦となった。
リアルタイムで観戦していたら3倍楽しめただろうに。もったいなかった。
 

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2013年4月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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関東交流会の、ちょっとしたお知らせ

たまには幹事らしく、お知らせなどを。
 
関東交流会のお知らせ、朝10時から午後4時まで将棋会となっていますが、ちゃんとお昼ご飯が用意されます。
お配りするのではなく、おにぎりやお菓子、フルーツなどさまざまなものをテーブルに並べます。1局終わったあとなど、お好きなときにつまんでいただければと思います。
 
未定ですが、湯川恵子さんの手料理も並ぶかもしれません。もし並んでいたらおススメです。絶品ですよ!
 
ともかく朝からの参加を予定している方は、ぜひお腹をすかしてお越しください。
 

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2013年4月25日 | コメントは受け付けていません。 |

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会報発送作業のこと

将棋ペンクラブの会報は、幹事が集まって発走する。あれ、これじゃ競馬だ。えっと、発送する。
決められた土曜の午後に作業する場所に集まり、会報を封筒に入れて、そして封をし、会員の住所氏名が書かれたラベルを貼り、宅配業者の通し番号も貼って、ある程度に束ねて、それを台車に乗せる。それを鷲北さんが業者に持っていくという流れだ。幹事は全員が揃うというわけではないけれど、いつも短時間で滞りなく終えてしまう。ラベルを作ってくる犬塚さんは事務仕事にヌカりがないし、透明のビニール封筒を採用した星野御大のアイデアもすごい。みんなで集まって手作業で発送と聞けば原始的な作業に感じるが、このようにさまざまな工夫や改良がなされ、実は最も効率的になっている。さすが発足して四半世紀というところだ。
 
ここのところの作業会場は船堀駅前のタワー。ここの一室を借りて行う。
作業開始が1時すぎなので、ぼくはいつも昼食を取ってから会場入り。決まった手順の発送作業に染まったか、その昼食はすっかりパターン化されてしまった。
船堀駅の立ち食いそばか駅前のパン屋。にぎわっている街で足を伸ばせばなんでもあるのに、頑なにその2つだけだ。他には目もくれない。実際、他にどんな店があるか知らないほどだ。
 
しかしその2つは知り尽くしている。特に立ち食いそば屋。メニューも席の配置も水の場所もすべて覚えている。ウリにしているのは天ぷらで、数種類そろえていて、けっこう揚げたてを出してくれる。きざみねぎが小皿にラップされていて、30円でトッピングできるのがちょっとした特色だ。まぁ特色に「ちょっと」を付けるのはヘンなのだが…。
麺は細くてなかなかの喉越し。美味しくてすぐに食べ終えてしまう。もっとも細い麺は、競艇場の最寄り駅なので美味さの追求より回転を上げるためかもしれない。
 
この前はそばと水を乗せたトレーを運んで席に着いたら、隣が幹事の三上さんだった。会っても不思議はないのだが、不意だったのでびっくりした。
 
この店の難は外から店内が見えにくいこと。券売機が外なので、スペースが埋まっているところに飛び込む可能性もある。ぼくは食券を買う前に一度入って中の混み具合を確認する。それで一杯ならパン屋さんへ、となるわけだ。
 
パン屋さんでは中で食べず、持ち帰りにして作業場で食べる。この前は早すぎたみたいで部屋が閉まっていて、仕方なく廊下の窓のところで外を眺めながらボソボソと食べた。しっとりしてけっこう美味しいパンなのだが、侘しく食べるとパンは途端にボソボソになる。
ぼくが食べていると、エスカレーターを上がってきた星野御大が。手には同じ袋だ。前回の三上さんといい、みなさん同じなんですねぇと思わず笑ってしまった。
星野御大もエスカレーター横のベンチで、ボソボソと食べていた。
 

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2013年4月24日 | コメントは受け付けていません。 |

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(最終選考委員の本)  草競馬流浪記

東京で文学的な街は、と問われればパッとあがるのは神保町、吉祥寺、国立といったところだろうか。その中で国立は、外れにある分他の街より落ち着いた雰囲気がある。
パチンコ屋やネオン街がなく、広い並木道に高校、大学が点在する。駅舎こそ味気なくなってしまったものの、駅前ロータリーから放射状に延びる道には高い建物が少なく、たしかに国立には他の街にはない、文学的な匂いがある。そしてその文学的な雰囲気に一役買っているのが、山口瞳だろう。
 
将棋ペンクラブ大賞の第1回から第6回までの最終選考委員を務めた山口瞳。ぼくは将棋ペンクラブの幹事になる前から、いやいや、入会する前から、彼の作品の愛読者だった。彼は長く国立に住んでいて、住んでいる街のことを作品によく出していた。
 
たくさんの著作がある作家のファンというのは大抵そうだろうが、ぼくも彼の代表作より一般にはそれほど知られていない著作がお気に入りだ。これは山口瞳と親交のあった我が師匠湯川博士の格言めいた言葉だが、「金の儲かる仕事ほどつまらない!」という。金が安ければ安いほど、やっていて手応えがあって面白いというのだ。この言葉に当てはめれば売れない著作ほど書き応えがあったということで、代表作でない著作を推すのはその作家の欲している評価をしていることなのかもしれない。などと自分勝手に思ったりする。本当はファンの方が、「こんなの知らないでしょう」という天の邪鬼からセレクトしている気持ちが強いのだけど…。
 
で、ぼくのイチバンは『草競馬流浪記』。兆治でもなく江分利満でもなく。持っている本は確か3代目だが、何度も読み返してもうボロボロ。全国の地方競馬を旅打ちした本で、枕元に置いてナイトキャップにしていた時期もある。後追いで各競馬場をまわったが、時既に遅しで多くの競馬場が廃止になっていた。だからこの本、今では貴重な資料でもある。
 
競馬好き、ギャンブル好きでないとなかなか楽しめない本ではあるが、ぼくにとっては名著です。国立の街の喫茶店で読むと、さらに格別。
 

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2013年4月23日 | コメントは受け付けていません。 |

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(将棋の方の)雑記  将棋道場

将棋道場というか将棋センターというか、ともかく、将棋を指すお店。それに初めて行ったのは立川にあるお店だった。前回のブログに書いた、将棋ペンクラブに入った頃だったと思う。つまりは10年前くらい、ということ。
 
どうして立川かというと、家が近くて外からは見たことがあったというのと、『近代将棋』誌で連載していた崎浦さんという方のブログが面白かったということがあった。
 
土曜日だったので、場外馬券場のある立川南口はけっこう混み合っていた。穏やかな気候で晴れ渡る日。こんな日に室内競技ももったいないかと思いながら入店した記憶がある。
入って見回したが、崎浦さんらしき人は見当たらない。もちろん崎浦さんという方の顔は知らなかったが、おじいさんが2人だけなのだから間違えようがない。
ぼくは受付の年配の女性に席料を払いながら初めてということを伝え、棋力を聞かれたが見当がつかなかったのでまずは指してみようということになった。
1局目は相振り飛車で勝ち、次は飛車落ちで負けた。その後はおじいさん同士で指し始めたので、相手がなくてしばらく観戦していた。
ようやく1人来て、その人もおじいさんだったが、受付の人に促されて指した。こちらが振り飛車で相手が急戦。バタバタと3局指して全部勝った。相手のおじいさんは投了するとすぐに駒を並べ始めて次の対局に入る。この日が初めてだったので、なるほど、道場では感想戦などやらないものなのかと思ってしまった。
延々と続きそうな感じがして、3局目が終わったときに断わって席を立った。入店してから5時間くらい経っていて、気疲れも感じていた。
 
その次の土曜日も行ってみた。この日も相手はおじいさんで、ちょうど駒組みの終わったあたりで隣の中華屋から出前が届いた。ビンビールに春巻きとザーサイ。店のテレビはグリーンチャンネルで競馬を流していて、ここってなんだか大人の遊園地だなぁとぼくは思った。おじいさんは春巻きにカラシをたっぷりつけた。そう、ビールと一緒のときはカラシ多めだよなと納得した。
互いにがっちり組み合ったのに、短手数で終わってしまった。王手金取りが決まり、「こりゃダメだ。投了だな」とおじいさんが言って勝負が終わった。
その次は中年の男の人と指した。こちらが優勢だったが、逆転負けした。男の人は破顔一笑。ぼくもつられて笑ってしまった。
そしてまたおじいさんと。最初の人とは違うおじいさんだ。その人も終わると感想戦もなく並べ始める。またもやバタバタと数局指した。で、先週と同じく気疲れを感じて席を立ち、店を出たのだった。
これが将棋道場初体験だった。

 

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2013年4月22日 | コメントは受け付けていません。 |

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(将棋の方の)雑記  『近代将棋』誌

ぼくが将棋ペンクラブに入ったのは、今はなくなった『近代将棋』誌に載っていた入会案内を見て。もう10年ほど前のことだ。
 
当時のぼくは、仕事中に本屋で立ち読みしたり喫茶店で棋書を読み耽っている、不良サラリーマンだった。
いやいや、不良などという大層なカンムリをつけてもそれはサラリーマンのこと、まったくたいしたことがない。学生の不良であれば別の不良グループや教師、場合によっては国家権力などとも戦っていかなければならず、そう簡単になれるものではないし、継続していくのだってひと苦労だ。しかしサラリーマンのそれは単に仕事から逃げ回っていれば自然となれちゃうものなので、その価値は大きく落ちる。
しかし価値はなくとも不良サラリーマンだったことは事実で、都内のほとんどの駅の、書店事情には精通していた。
 
当時最も発売日を楽しみにしていた雑誌が『近代将棋』で、ぼくは25日を待ち焦がれていた。
ところがこの『近代将棋』、どこの書店でも売っているというわけではない。小さな書店では取り扱ってないところがけっこうあり、外回りに大型書店がない駅が続いたりすると、ランチタイムまでに仕入れられなかったりした。
大型書店でも、購入できずに引き上げたこともあった。将棋というのは書店の中で明確なポジションがなく、文芸書のところにあったりホビーのところにあったりバラバラだ。NHKのテキストのところの、将棋講座の横に置かれてるなんてこともある。それに、当時の『近代将棋』は中綴じで女流棋士の表紙だったので、週刊誌やマンガ雑誌のラックにささっていることもあった。もっともマンガも載っていたので完全に間違いというものでもない。
それで、時間が切迫していてさっと買わなきゃというときなど、見つけられなくて買えなかったことがあった。
 
勤め先の近くの書店では必ず売っていたので、外回りで買えなかったときはその書店で買って帰りの電車で読んだ。『近代将棋』を読みながら帰ると、なんだ、もう着いたのかと思うくらい、あっという間に感じるのだった。
 
今でも大事に取ってあります。
 

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2013年4月21日 | コメントは受け付けていません。 |

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