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某日日記  その14

免許の書き換えのため、府中の試験場へ。
西武線を国分寺でJR中央線に乗り換え、一つ行った武蔵小金井で降りる。雨だったが、そこから歩いていく。

武蔵小金井は長年仕事で訪れていたので愛着を感じる駅なのだが、すっかり変わってしまった。開かずの踏切は高架になり、バスの乗り入れどころかタクシーですら切り返しで入り込んでいた狭い南口ロータリーはとても広くなった。おそらく今では中央線で1、2を争う、開けた眺めではないか。街に暮らす人にとっては便利になっただろうが、整然とした駅前風景はとてもよそよそしく感じる。駅ごとにある「裏通り」が、ここもなくなってしまったのか、と…。

趣がなくなってしまった残念さはあるが、いいこともあるもので、大型商業施設ができたおかげで書店が増えた。南口の商業施設それぞれに、チェーンの書店が進出してきたのだ。書店は年々減っていっているが、この駅に関しては時代の流れにいい意味で逆行している。

ぼくは商店街を通って前原坂を下り、住宅街の細い道を縫うように進んで試験場に辿り着く。更新用のハガキと免許証を差し出すと、免許証が汚れているということで別の窓口にまわされる。そこできれいに磨いてもらい、手続きを進める。更新料を払い込み、視力検査をし、写真撮影。そして退屈な講習。不覚にも指定時間内の進入禁止と一時不停止の2回、違反切符を切られているのだ。それで最も長い違反者講習となっている。

それにしても時代に合わせて講習もゆるやかになったものだ。以前は教官が入ってくるなり、「あなたたちは犯罪者だ。刑務所や裁判所ではなくこの場所に来られたことをありがたく思いなさい!」と野太い声で一喝された記憶があるが、この日の講習は居眠りの人にも怒らず、逆に体調を心配するほど。叩き出される心配がなければそりゃ寝るはずで、周囲はけっこう眠りこけていた。飲み物持ち込み自由というのも、以前は考えられなかったところだ。つまりは懲罰の意味合いが減って、真に講習ということになったのだろう。それにしてはプログラムは以前と同じで味気ない小冊子とビデオでの単調な講習。
2時間の講習が済んで免許の交付場所に向かうと、驚いたことに免許証がすぐに出てきた。以前は交付までにだいぶ待たされた覚えがあるのだが、こういった機械的なシステムに関しては着実に改善されていっているのだろう。

 
雨が上がった住宅街の小道を、のんびり駅へと戻っていった。

 

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2013年6月25日 | コメントは受け付けていません。 |

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2次選考 電子メール終了

将棋ペンクラブ大賞2次選考委員から採点データが届く。スネイルメール(郵送)は三上さんで、電子メールはこちらなのだ。

いつものように、選考委員の方々には頭が下がる。採点だけでなく一作一作に丁寧な寸評を付けて送ってくれているのだ。多大な時間をかけてくれたこと、一目瞭然だ。

ぼくはそれをプリントアウトして、三上さんに郵送する。これにて2次選考でのぼくの役割は完了。あとは幹事会と最終選考会を経て、大賞が決まることになる。

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2013年6月19日 | コメントは受け付けていません。 |

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某日日記  その12

立川での呑み会のあと、友人に誘われて地元のスナックへ。月に一度、この街の地元のアマチュアミュージシャンたちの弾き語り会をやっているのだ。

久々に会う面々と熱きシェイクハンド。ここのところ地元ではほとんど呑み歩かなくなったが、以前はちょくちょく杯を交わした間柄だ。

一人3局、じゃなかった、3曲で次々演奏していく。ぼくは演奏できないのだが、洋楽好きのぼくのためにジョージ・ハリスンの曲を演奏してくれたりして楽しんで聴く。

ぼくを誘った友人は奥さんと二人で出演。弾き語りの彼にコーラスの奥さん。マスターがベンチャーズを弾いたあと、5人組が出てきた。なんでも地元の歯医者さんたちのサックスグループだそうで、30分ほどムード歌謡を聴かせてもらった。ライトにキラッと光る楽器が金歯に見える。

日付が変わった頃におあいそして帰宅した。雨が降っていたが、地元なので歩いてサッと帰れるのがうれしい。

 

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2013年6月16日 | コメントは受け付けていません。 |

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某日日記  その11

某日、新宿ゴールデン街の『月に吠える』の1周年に。

次々お祝いのお客さんが来るのを予想して、口開けに入る。その時点でもう満席。お祝いのお酒、「停車場」を渡し、ビールを頼む。

「これ、本日来店の方に」と図書券をもらう。これはすごい。大赤字じゃないのか! それでなくてもこの日はすべての飲み物が500円なのだ。入れ替わり立ち代りお客さんが来て、邪魔になってはいけないと思い、1時間ちょっとで退散。まっすぐ帰る予定だったが、妻がもう一軒希望し、少し悩んだが2丁目方面に歩き出す。ここできっぱり断わらないからブログが停滞して小説の枚数が伸びないのだ。と、分かってはいても新宿に来たからにはなじみに顔を出したいもので、我が聖地『レノンハウス』に突入。マスターと楽しく話していたのだが、常連のEさんたちが演奏を始めてしまったのでムシが疼いてドラムセットに向かってしまう。この日来ていたキーボードの方が後期を希望し、ホワイトアルバムのB面を通してやった。

妻と一緒だと、駅に戻るまで勧誘に声を掛けられないのが楽だ。

 

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2013年6月15日 | コメントは受け付けていません。 |

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某日日記  その10

日が落ちてから、豊島区の中央図書館に行く。この図書館は東京で最も長い開館時間の図書館ということで、月曜から金曜の平日など夜の10時まで開いているのだ。

夜の10時までとはすごい! 呑み屋では宴たけなわとなっている時間で、遠方にマイホームを持つ酒呑みはそろそろ終電を気にする時間だ。そんな時間まで公共の施設が開いていると知って、いったいどんなところだろうと出向いてみたのだった。
せっかく行くからには閉館を見てみたいので、桜台のタパスで一杯ひっかけて暗くなってから向かう。順番が逆だが致し方ない。西武線の各駅停車で池袋まで行き、東口を出て駅から離れるように10分弱進む。サンシャインを通り越して高速道路をくぐったところ。ライズアリーナビルという、民間企業も入っているビルの4階がその図書館だ。ガランとして、とてもきれいな1階フロアをエレベーターで上がっていく。ぼくが子どもの頃にあちらこちらにあった、町の図書館というイメージはまったくないですなぁ。

金曜だからだろうか、たくさんの人がいて机には空きがなし。本たけなわという感じだ。これだけの酒呑みがいれば相当騒がしいはずだが、本好きの人たちは静かだ。広いフロアに響くのは新聞やページをめくる音にコピー機の音程度といったところ。

棚の間のスペースが広いので、ぼくは気になった本を手に取ってその場で立ち読みしていた。

うーん、やはり本に囲まれると次々気になった本を手に取って読み耽ってしまう。ここにいれば一日簡単につぶれそうだ。正直なところ、酒など呑まずにもっと早くからここに来ればよかった。それでもせっかく来たからには、本を読むだけでなく館内を見てみないともったいない。9時を過ぎたあたりで、ぼくは館内をうろついた。

その時間になると多少は席が空くようになる。雑誌や新聞を置いてあるコーナーは立って読める設備があり、さっきまでいっぱいだったのだが今は空いている。地方紙など読んでみたかったが、読み出すと長くなるので控えた。

絵本コーナーは取って付けたような感じではなく、スペースも広く取ってあって本の数も多い。おススメはよく分かるようにラックに差してある。食育の本が面白そうだったので、その場で立ち読みした。

シーンと静まり返っているほどでもなく、適度な静かさ。ぼくのいる間、携帯電話の鳴る音は一度もなかった。とても心地好い時間をすごさせてもらった。もちろん無料だ。閉館間際までいて、きれいなトイレを使用して、他の利用者とともにエレベーターで下りる。もっと家が近かったら、毎日通いたくなるような施設だった。

 

 

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2013年6月14日 | コメントは受け付けていません。 |

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某日日記その9 の続き

某日のつづき。ゴールデン街の『月に吠える』で呑んでいたら、ぼくからしたわけでもないのに小池重明の話になった。『月に吠える』のマスターは将棋を指さないのに、さすがにライターだけあって小池重明についてよく知っていた。新宿をさすらっていた小池重明。様々な人物にインタビューしているマスターには魅力ある人物なのだろう。

それにしても、将棋関係だけでなく文章関係者にも名前が上がるというのはすごいことだ。やはりジャンルの垣根を越えるには、単にそのジャンルで強かったというだけではなく、その人物に特色がなければならない。小池重明の場合は、さすらっていたということが大きな特色だった。そのだらしなさによって迷惑をこうむった人もいたようだが、少なくとも小さいながらも歴史の1ページに名を残した。さすらいというのは、歴史に名を残す一つのアイテムなのだ。

ぼくの友人にさすらいのミュージシャンを名乗っていた男がいて、いい歌を歌っていたので売れればちょっとした語り草になったかもしれない。しかし彼は昨年ぼくの斡旋で食品工場に勤めてしまったので、残念ながらさすらいではなくなってしまって、フツウのミュージシャンとなってしまった。やはりさすらっていると食うことがむずかしいので、長いことさすらい続けるというのはたいへんなのだ。それでも小池重明はさすらい続けた。当時は「中年」と呼ばれる年齢になっても。だからこそ、将棋を知らない人たちの間にも名前が出てくるのだろう。なにしろ「強い」も「勝ち」も、将棋を知らない人にとっては、それは「単に」なのだ。鬼のようなも不思議も魔術もマジックもない。強さは必要で小池重明も実績充分だったが、その生きている姿が常人と違ったから、彼はこうやって死後も呑み屋で語られるのだ。
その小池重明を書いた団鬼六先生の功績は、とても大きいと思う。文章として残っているというのも、語られるうえで重要なことなのだ。

 

 

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2013年6月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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著作等募集

今年も将棋ペンクラブは、社団戦にブースを出させていただきます。

将棋ペンクラブの会員の方で、著作をお持ちの方、よろしければブースに本を置きませんか!? お手数ですが当日会場にお持ちいただくカタチになるのですが、ご希望の方はいかがでしょうか。もちろん著作でなくても、将棋会の案内やフリーペーパーなども受付いたします。

場所は浜松町の「東京都産業貿易センタービル」、日にちは6月30日です。3階でエレベーターを降りると、すぐ前が将棋ペンクラブのブースとなっております。

 

 

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2013年6月12日 | コメントは受け付けていません。 |

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某日日記  その9

夜、浜松町の東京都産業貿易センタービルへ。この日は社団戦の主将会議。昨年も遅れてしまったが、今年も遅れてしまう。どうしても浜松町に7時というのはキツい。およそ一時間遅れで地下の食堂に入室。

委員の方に資料をもらい、遅れたバツの悪さから、小さく屈みながら最もうしろの席に座った。

将棋ペンクラブは万年最下部の、打ち上げ重視チームなので特に要望というものはない。主催者の方針に従うだけで会議は聞く一方。昨年もそうだった。ぼくが着席してすぐ、対局時計についての質問が出されたが、なるほど、たしかに勝負に全力を注ぐチームには大事な問題にちがいない。
そのうち、4部と5部の入れ替え戦の議題になった。このクラスは毎年入れ替え戦を行わないが、今年もそれでいいかということだ。
やはり下位でも入れ替え戦の緊張感は味わってみたい。そのような意見も出て、なんとなく、入れ替え戦をやる手もあるかという雰囲気も出てきた。そこで今西さんが、「おぅい、うしろにいるペンクラブ」とこちらを見る。ヒェー、おとなしくすごさせてくださいよと内心頭を抱えたが、指名されてすっとぼけるわけにもいかず、おどおどと席を立つ。「ペンクラブの意見は?」と今西さん。こりゃダシに使われたなぁと覚悟を決め、我がチームのモットーを会場に伝える。「えー、ウチのチームは成績無視の打ち上げ重視のチームなので、早く酒を呑みたいので入れ替え戦があっても辞退したいというのが…」。そこで今西さんが受ける。そう、こうやってのんびりと楽しんでいるチームも下位にはあるんですよ、と。

その今西さんの進行によって、入れ替え戦は見送る雰囲気に。主催者さんの進行、うまいものだなぁと思いながらぼくは着席した。

会議は滞りなく終了し、最後に今年もブースを借りるのでお願いいたしますと主催の方々に挨拶して会場をあとにする。

まっすぐ帰るのも芸がないと思い、新宿でなじみの『月に吠える』に寄って3杯呑んで帰宅。

 

 

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2013年6月11日 | コメントは受け付けていません。 |

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ノスタルジー の続き

昨日はパ・リーグの会報誌のことを書いたが、この会報には現在のことだけでなく過去の回想の投稿も多い。やはり一つの趣味を長年追っかけてきた者には過去の記憶がたくさん蓄積されていて、それを誰かと共有したいものなのだろう。

そんなファン心理を汲み取って、現在のプロ野球は過去に使っていたユニフォームをよく使用する。実況中継のときかなにかで、レプリカを1軍全員分用意すると1千万円かかると聞いたことがあるが、その当時応援していたファンからするとうれしい演出だ。

将棋ファンも長年見ている人が多いだろうから、なにかノスタルジーを感じさせる演出があれば楽しいところだが、団体競技でないのでむずかしいところだ。ユニフォームもないし、過去の遺産となったチームや球場もない。引退選手もそれほどいないので演出しようがない。

そんななかでCSの囲碁将棋チャンネルがやっている、過去のNHK杯将棋トーナメントの放送は、長年将棋ファンを続けてきた者にはうれしい企画だ。今でもよく話題にのぼる過去の名局が、ダイジェストでなく通しで観られる。正直NHKもよく出したものだと思う。

最近どうも疲れやすいことだし、粋な企画を流してくれている囲碁将棋チャンネルに貢献するためにも、CMでやっている健康サプリでも購入しようかなぁとチラッと思ったりする。

 

 

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2013年6月10日 | コメントは受け付けていません。 |

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ノスタルジー

ぼくが将棋ペンクラブの他にもう一つ入っている、『純パの会』というパ・リーグのマニアックなファンの会。先日その会報が送られてきた。

この会報はペンクラブと同じで投稿で成り立っているのだが、今回最も面白かったのは青梅スタジアム探訪の投稿だった。

東京の西の外れにあるちっぽけなこの球場は、以前、といっても20年ほど前だが、ロッテが練習用に使っていたグラウンドだ。青梅といっても実際には埼玉県との境にあり、青梅線のみならず八高線、西武線のいずれの駅からもとても歩いていけない陸の孤島にある。ぼくは以前に何度か車で行ったことがあるが、球場の周囲は一面お茶畑で、少し離れてガソリンスタンドがあるだけで他に商業施設は何もなかった。今はそのスタンドの近くにコンビニができたが、それでも変化はその程度で、状況は往時とほとんど変わっていない。

この球場はもちろん今も残っているが、かつてプロの選手が使っていたなど到底考えられない規模と設備。その当時のパ・リーグの冴えない状況が分かるというものだ。たとえ20年前だろうが、セ・リーグでは1軍がこんな球場を使うようなことはなかっただろう。

投稿者は現在のこの球場を訪れ、周辺を歩き、さまざまな角度から球場風景を写真におさめている。そしてロッテの状況と重ねながら、球場の歴史を現在に至るまで説明していく。取材は念入りで、選手寮があったロッテ狭山工場まで訪れて写真を撮っている。ぼくは大学時代、この工場の横にあるロッテリアにレタスを運んでいたのでよく知っているが、青梅スタジアムとはまったく離れた場所にあるのだ。稿料の出ない会報誌への投稿原稿でここまでするのは、たいした行動力と言える。

この投稿者の文章はぼく好みの淡々としたもので、その落ち着いた文章がよりノスタルジーを色濃くする。投稿者はその前の号でもファイターズの多摩川グラウンド跡地探訪記を書いていて、文章の組み立てそのものもうまいが、こういった風化されたものを書くのに適した文章ということもあるだろう。

今後もこの人の投稿記事を読みたいな。それも、こういった探訪物で。そんな気持ちにさせられる投稿だ。それにしても文章のうまい人というのはいろいろなところにいるものだと、あらためて思うのだった。

 

 

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2013年6月9日 | コメントは受け付けていません。 |

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