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某日日記その9 の続き

某日のつづき。ゴールデン街の『月に吠える』で呑んでいたら、ぼくからしたわけでもないのに小池重明の話になった。『月に吠える』のマスターは将棋を指さないのに、さすがにライターだけあって小池重明についてよく知っていた。新宿をさすらっていた小池重明。様々な人物にインタビューしているマスターには魅力ある人物なのだろう。

それにしても、将棋関係だけでなく文章関係者にも名前が上がるというのはすごいことだ。やはりジャンルの垣根を越えるには、単にそのジャンルで強かったというだけではなく、その人物に特色がなければならない。小池重明の場合は、さすらっていたということが大きな特色だった。そのだらしなさによって迷惑をこうむった人もいたようだが、少なくとも小さいながらも歴史の1ページに名を残した。さすらいというのは、歴史に名を残す一つのアイテムなのだ。

ぼくの友人にさすらいのミュージシャンを名乗っていた男がいて、いい歌を歌っていたので売れればちょっとした語り草になったかもしれない。しかし彼は昨年ぼくの斡旋で食品工場に勤めてしまったので、残念ながらさすらいではなくなってしまって、フツウのミュージシャンとなってしまった。やはりさすらっていると食うことがむずかしいので、長いことさすらい続けるというのはたいへんなのだ。それでも小池重明はさすらい続けた。当時は「中年」と呼ばれる年齢になっても。だからこそ、将棋を知らない人たちの間にも名前が出てくるのだろう。なにしろ「強い」も「勝ち」も、将棋を知らない人にとっては、それは「単に」なのだ。鬼のようなも不思議も魔術もマジックもない。強さは必要で小池重明も実績充分だったが、その生きている姿が常人と違ったから、彼はこうやって死後も呑み屋で語られるのだ。
その小池重明を書いた団鬼六先生の功績は、とても大きいと思う。文章として残っているというのも、語られるうえで重要なことなのだ。

 

 

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2013年6月13日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ

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